実際問題、私のフランス語は、フランスに数年留学でもしてたでしょ?とフランス人からいわれてしまうようなフランス語です。
でも留学経験はありません。パリ旅行1週間ぽっきり。それだけです。
それでもフランス語を40歳近くになって学び始め、2年たたずに DELFの第一段階A1-A4 をすべて取得しています。仏検でいえば1級と2級の間といわれています。
こんなことをなぜ言い出すかといえば、私が説明するフランス語は荒っぽいけど無論理でも無文法でもないよって、一応いいたかっただけです。
ちゃんと勉強した時期もあった、と。
ええ、あった。過去形です。今の私のフランス語は、喧嘩に勝てても職場で使うのはおすすめできない市井のフランス語。それもパリジアン以外からは、あまりすかれないであろうパリ風な言葉遣いのようです。ええ、1週間しかいなくて、そのときはフランス語テキスト1とか2みたいなしゃべり方をたどたどしくやっていただけなので、今となっては確認しようもありません。
どうしてこうなっちゃったかといえば主人のせい。いや、おかげかな。
パリ郊外南に25km ぐらい(自己申告)のエブリEvryという町の近くのドラベイユDravailというところで生まれ育った主人。
パリの芸能界に足をつっこんでいたおかげで、おもいきりパリなまりの主人。
そして、英語をまったく介さないパパとママン(ドラベイユ在住)
この人たちとコミュニケーションとっていかなければ、朝ご飯だって食べられない。
ある日、東京で主人と結婚することにして、直面した問題でした。
主人はめっちゃ早口。しかもラルゴl'argotばっかり。
学校で習ったのと同じフランス語とは思えなかった。目の前にいる愛する主人が何しゃべってんだかわからない。こりゃやばい。それから私のサバイバルフランス語習得が始まったのです。
今振り返ると、この3年あまりフランス語に関してはすごくストレスを感じていたんだな、と思います。いいたいことがいえない。目の前にいる人が曲解しても訂正できない。
例えば、リンゴをむいてたべさせてあげようと、口の中に入れてあげたのに、「このバナナおいしいね」といわれる。そんな感じ。ぼーぜんと時間が過ぎていきました。
そんな中で、なぜ私が今フランス語がはなせるのか、といえば、文法を捨てたことでしょうか。
簡単にいいますけれど、これは日本人としても、外国語をある程度学んできた人としても大変困難なこと。でも私にとっては思ったほど難しくなかったんです。
私には過去の歴史がありました。
私は、北海道生まれ、宮城と熊本育ち、東京、神奈川、神戸と転々とし、ここしばらくは東京に住んでいます。
大きくなってから違う土地に住むのはある程度許容範囲が広いものです。違うんだなと理解してもらえる。でも私の引っ越しは父親の関係で、6歳、15歳のときに起こりました。
しかも全然違う土地。そして田舎。埼玉の人が東京にいくのとはわけが違います。
結果として、小学校、中学校とひどいいじめにあってきたんですね。
子供たちが何を根拠にいじめるか。それはいろいろありますけれど、私がいじめられたのは最初によそ者であるということ。つまり方言をしゃべれなかったということがありました。
北海道弁はありますが、あまり極端な言葉遣いのない土地で生まれ、東北なまりばりばりの土地に行きました。今でもよく覚えているのは、初めて方言を話したとき。
すでに小学校4年生。10歳でした。
そしてまわりの友人にいわれたことも忘れられません。「あっ、今方言しゃべったね」
へたくそだったから笑われました。でも確実に「土地の子」になったと思われたことがわかりました。
方言には文法も手引書もありません。誰も教えてくれる人はいないのです。でも習得しないといじめがひどい。子供同士は残酷です。同じ言葉をしゃべるから仲間と見なす。そういう習性があります。同じ言葉をしゃべらないのは敵です。そうじゃなければ今こんなにいろんな外国語が残り、語学学校が繁盛する必要もないでしょう? 同じです。違うのは、方言には学校がないことです。だから体で覚えるしかなかったんですね。
助けになったのは、親が徹底して標準語教育をしたことです。今でいえば英語教育なのでしょうか。私の場合は、外でどんな話し方をしていても家では標準語でした。なまりが混じるとひどく怒られました。これが私の徹底的な語学感覚を育ててくれたのだと思います。
2つめの引っ越し先は熊本です。東北なまりは笑われこそすれ役に立ちません。そしてありがたいことに私はすでに15歳。言葉がもつ不思議をすでにある程度理解していました。だから熊本に移動する飛行機の上で、私は東北なまりを忘れました。意識的に。
飛行機の中で会話したときにはすでに標準語に戻っていました。これからいく土地のために。
そして熊本では最初の数ヶ月で方言を話し始めました。上手にはできないから先生や友人に嘲笑される毎日です。でも嘲笑されるってことはすでに努力を認め、仲間にしてもいいよといわれていること。嘲笑されながらも温かく接してくれる友人たちを得ることができました。
そして一浪して大学に入ったのですが、一浪中にはいっていた福岡の寮。これでまた鍛えられました。福岡、佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島と山口の子たちと一緒に1年を暮らしました。これで各地の方言を(まー時間つぶしとか気分転換ですけれど)交換し合ったんですね。
九州方言研究会、と冗談でいっていたぐらいです。
そして東京に来て、大学。就職してしばらくし、物を書く仕事をしようとライターの卵として入った会社で、日本語を叩き直されました。毎日、25、6歳の若い女の子が会社にいって、小学校4年生の教科書を勉強するんです。これも大きな糧となりました。
そう、だから語学といって、フランス語で特別なことをやったわけではありません。今までと同じこと。
このいろいろな語学体験の中で、私が結局学び取っていったこと。それを一言でいうなら
相手を見る
です。どんな顔してどんな音を発するか。繰り返し見ていれば、どの顔がどの音に結びついているかわかります。
そして日本語で同じ顔をするなら(あるいは私のしってる言語でなら)何というのか。
それが私のサバイバル語学習得法です。フランス語も英語も例外ではありません。
イタリアに遊びにいったときも同じことを少しやったりしたものです。
人間が発する音に理論をつけて体系づけるために文法書はあるのであって、
人間の発する音の前に文法書はないのです。
論文を書くために学ぶなら文法書をどうぞ。
でも目の前にいる相手の感情を理解したいなら、文法書をすてて相手の顔を見てください。
身の回りにいませんか?日本語でしゃべってんのにわっけわかんない人。
こういう人たちも同じです。
どの顔でどの音を出すか。
自分なら同じ顔で何というか。
翻訳ではなく正確でもないけれど、これで喧嘩はできます(笑)
これが私のフランス語習得の原点です。